言葉の珠玉(たま)

P16 (ボタン雪の言葉)
「あなたはきっと遠からぬ日に、いのちあるものが皆、変化し続けるものだということがお分かりになりますわ。それははかなく、悲しく、そして憂いに満ちたものですわ、とても・・・。でもね、またそのことがいかにすばらしく、恵みに満ちたことかということも、いつの日かきっとお分かりになりますわ、必ず・・・。」

P30 (太陽の言葉)
「もし、その『貴く偉大で不思議な何ものか』がはたらいていなければ、どうして山は山であんなに威風堂々としていられ、海は海であんなに優雅に波打ちを繰り返すことができ、沼は沼で深い神秘を漂わせながら多くの生き物をその懐 (ふところ)に抱くことができ、木々は木々であんなに清 (すが)やかにじっと時の流れを見守りながら立っていられましょう。あなたにもその『何ものか』がはたらいていなければ、どうしてそんなに生き生きとしていられることでしょう。」

P59 (カシの木の葉の言葉)
「元々、葉が無いものは、それは無くていいのさ。君は君の役割を果たしている。この世界は分担している。あらゆるいのちあるものは、それぞれの役割をもって、この世界を支えるために分担しながら生きているんだ。だから、そんなことで悲しむ必要はないのだよ。」

P73 (風の言葉)
「一つのいのちの喜びや叫びや悲しみは、伝え合っているということなのさ。それを誰かが知ろうが知るまいが関係なく、深く深くつながり合っているということなのさ。それがいのちの神秘ってものなのさ。」

(ボタン雪の言葉)
「お花さん、仮に悲しいこと、苦しいことがあなたの身に起こっても、恐れることはありませんわ。悲しいこと、苦しいことは永遠ではなく、やがては消えていくものなのですから・・・。ずっと同じままのものなど、この世には一つも無いのですもの・・・。ですから結局のところ・・・、時間があなたの一番の味方ということですわ。」

(満月の言葉)
「深い悲しみや苦しみを味わったものには、それを味わったものにしかない大きな喜びがやってくるのさ。その喜びはたとえて言うなら、光にも似た、君にひらめきを与えてくれるような喜びさ」

(ウマノオトシゴの言葉)
「みんな、苦しんだり悲しんだりしている時には、自分が何かを失っているだけだと思い込んでいるようだけど、実はそうじゃないってことさ。気付こうが気付くまいが、その半面では必ず何かを手に入れたり、得したりしているものなのさ」

(太陽の言葉)
「起こったことを生き物が良いだの悪いだの言っているのは、それは生き物がそれに自分好みの意味付けをしているだけなのです。起こった出来事がどういうことなのか、限られた時間を生きる生き物には、所詮(しょせん)はその全容はつかめない。長い長い途方も無く長い時間を見渡さなければ、その全貌(ぜんぼう)は分からない・・・。それは結局のところ、神仏にしか分からないことなのです。」

(稲穂の言葉)
「真の深みと真の味わいを持つものとは、同時に多くの悲しみ、苦しみを知るものでもありますわ。真に相手を思いやれるものとは、気の遠くなるような長い長い道のりの中で、多くの悲しみ苦しみを経て、その悲しみ苦しみが慈愛に変容したもののことですわ。」

(沼の主の言葉)
「生き物はややもすると、苦悩で別の苦悩を作り出し、迷いで別の迷いを作り、悲しみで別の悲しみを作り出す。つまり同じ次元で堂々巡りを始める。いやどうかすると、次元を下げながら、蟻地獄に陥いる。しかし、耳の花のお方よ、そなたは違う。神仏が悲しみと苦悩を光に変えるように、そなたもやがてすべてを慈愛に、光に、変えていかれることでしょう。そして、いずれ、物言わぬそなたのその立ち姿だけで、生き物に光を与えられる時がやってきましょう。」

P25 (玉を抱えた龍と木の会話)
「ぼっちゃんはいま玉の色を自由自在に変える、摩訶不思議な力がほしいと夢中になっている。しかしね、ぼっちゃんはそのどんな不思議に思えることよりも、もっと不思議なことを知らず知らずのうちに毎日しているのだよ。分かるかい?それはね、ぼっちゃんが生きているということ。そう、動いている、食べている、息をしている、ってことだ。これほど不思議で不思議で、摩訶不思議なことはないのだよ。」

P39 (深山に眠っていた虎と木の会話)
「そう、それでね。その何ものとしか言いようがないちからには、大きな特徴がある。それは、そのちからはいつもすべてのものごとをより良い方向に、より良い方向に、生かそう、生かそうとしてはたらいてくれているということなのだ。それはたとえようもないほどの、大慈大悲の思いやりに満ちたちからと言うべきものなのだよ。」

P63 (悟りを求める行者の大鷲と木の会話)
「とかく我々は、完成されたものごとや、見事に出来上がったものだけに価値を感じたり、またそういうものを求めたりしがちだが・・・。しかし途中までのもの、間違いのものも、実はそのまま、いきいきと連なっているいのちのはたらきなのだ。つまり端的に言うと、無限の過程にあるものこそ貴い、ということなのだ。」

P85 (老師と私の会話)
「我々は『一生、勉強せねばならない身ですから』とは言っても、『どうせ凡人ですから』などと言ってはいけないのだよ。」

P85 (老師と私の会話)
「この猿はほんものなのだ。意外に思うかも知れないが、ほんものとはね、この猿のように市井の中の、思いもかけないところにいるものなのだよ。」

P110 (時計草につかまった蝶と木の会話)
「君は随分遠い道をやってきたのだよ。よくここまでやってきた。そしてその通ってきた道で起こってきた一つ一つのことが、それは全宇宙が君を通じて表現したことでもあり、君が宇宙を代表して表現したものでもあった。何よりそれら一つ一つは、比較をすることができないかけがえのないものだったのだよ。」

P20 (阿弥陀さまと木の会話)
「いえ、私、阿弥陀は、決して裁くものではないのです。いつの時もあなた方と共にあるもの。あなた方が悲しみにある時は、阿弥陀もまたその悲しみと共にあり、あなた方が喜びにある時は、阿弥陀もまたその喜びと共にある。」

P38 (木と阿弥陀さまの会話)
「阿弥陀さま、あなた様が龍へお伝えになりたい訳は、自らを必要以上に罰している時には、同時に輝くことはできないというのが、いのちの法則だからではないでしょうか。」

P62 (木と阿弥陀さまの会話)
「つまり、罪の語源が『つつみかくすもの』であるように、真実の姿を包み隠し、真理を包み隠し、本来の輝きを包み隠してしまう、それこそが『つみ』というものなのです。」

P68 (老師と私の会話)
「しかし、かといって、特別なものにしか阿弥陀さまは現れないかというと、そうでもない。本当のところは、心が真に澄んで澄み渡って素直になった時、誰でも阿弥陀さまのお声を聞くことができるようになるのだよ。要は私たちの側の純度、もしくは透明度の問題とでも言えるかな。」

P108 (阿弥陀さまと蝶の会話)
「いまあなたの目の前で起こっていることがどういうことなのかを、永遠の時の流れの中で、目に見える世界からも目に見えない世界からもあらゆる角度で見極められるのは、結局のところ、それは神仏にしかできないことなのです。」

P120 (阿弥陀さまと木の会話)
「しかし実は仏の世界には、あなた方生き物の世界を取り仕切り、分け隔てているようなそんな位階は一切無いのです。私、阿弥陀があなた方生き物を見る時の基準、それはたった一つ。それは個々の生き物がどれだけそれぞれの内にある固有の美を活かしているか、いきいきと個々のいのちを大切に生きているか、その一点だけなのです。」

P23
「リンバは、祈ったことはやがてこの世界に形となって現れる、実現するのだということを、直感的に知ったのです。」

P31
「リンバのまなざし、さしのべる手、することすべては、祈りになっていました。」

P39
「もしあなたが学生であれば、友人がニコニコしているのを想像してみてはどうでしょう。・・・・・・・・・・(途中省略)・・・・、なぜなら、心の中にこのような美しい映像を呼び起こすことは、祈りと同じことだからです。」

P46 (そうじいさまの語り)
「それに実は扉を開けて向こうへと渡ってゆくことは、想像するほど困難なことではない。思い切って行動すると、不思議と道は拓いていくものでのお。」

P70 (シンの言葉)
「無理だと思うようなことが実現する時というのは、お金や制度の力ではないのだよな。人の気持ちが動いた時、まさにそんな時こそ奇跡は起こるのだよな。」

P75 (そうじいさまの語り)
「見過ごされていたものに目を留め、磨きをかけて光を当ててやると、内側に眠っていたものが輝き出すのじゃな。」

P89 (そうじいさまの語り)
「わしは一人一人がイキイキと自らを100%活かすことこそが、社会の一番の活性化だと信じておる。」

P90 (そうじいさまの語り)
「特に正しき信念に基づき懸命に動いている時には、万物が波長を合わせすべてが宝石のように輝いて、みんなを後押ししてくれている。」

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